2016年12月20日火曜日

西坂での祝福された一時間、81.3 キロになりました。 : 17日の日記

今日は、明日の日曜日が外部奉仕まので、大阪に飛行機で飛びます。
それで午後に一時間だけですが、西坂で祈る時を持ちました。
神様の恵みで、気持ちいいぐらい晴れ渡り、暖かな日差しの中で祈れました。
とても祝福された時間でした。
たったの一時間でも、こうして主の前に出て、ゆっくりと交わると、主にある平安と喜びがやってきます。
せっかく長崎住んでいるのだから、もっと頻繁に西坂に来て祈ろうと思います。

それから風呂に入り、準備をしていたら、バスに一台乗り遅れ、ギリギリに空港に着きました。
でも何とか間に合ったのでホッとしました。

今日は実家に行かず、直接奉仕する放電という兵庫の駅まで行きました。
待っていた牧師の方とスシローではなく、くら寿司に行きました。
くら寿司はあまり行かないので、新鮮でした。

出発前に体重計に乗ると81.4と今までで一番軽くなっていました。
嬉しかったです。
今週は80キロ代目指して頑張らず、祈ります。

isaiah

1年ぶりの宝殿、好きなものだらけの実家での食事  Re: 18日の日記

久しぶりの外部奉仕。
1年前、同じこの宝殿イエス教会で奉仕をさせていただいて以来です。
教会が明るくなった感じがしました。
ここにもリバイバルの波が来ているのでしょう。
いろんな問題を持った人たちがたくさんいますが、
それは宝の宝庫で、神様がまさに働かれる時が来ているのだと思いました。

夜は、大阪の実家へ行きました。
姉も来ていました。
私の好きなものばかりの食事が待っていました。
おつくりー刺身のことです、マグロにタイにハマチ、ちりめんじゃこ、サラダもやゴージャスな感じ、ちくわの代わりにかまぼこもあります。
娘のところに風呂に入りに行きましたが、あまりに疲れていたので、入らずに帰ってきました。
やはり、入った法がよかったと後でね思いました。

翌日は、少し早めにラッシュを避けて大阪伊丹空港に行きます。
母がずいぶん弱っているようで、この一年はできるだけ大阪に来てあげたいと思います。
年末年始、殉教聖会、どちらも長崎に来るのは、少し難しいようです。
母も歳をとりました。
これからは、こちらが世話をしてあげないと・・・
気づくのが遅すぎるぐらいですね。

今までいつも母の世話を(父もでしたが)、してくれている姉と姉の婿殿に心から感謝です。
isaiah

2016年12月16日金曜日

休みの日に家族でともに祈ると・・・ Re: 15日の日記

今日は安息日、つまり休みの日でした。
朝から祈り、朝ごはんを食べて、
少し遅れてかかりつけの内科へ。
一月に一度必ず行って、CPAPのデータの確認をします。
CPAPをつけるとやはり眠りは深くなるようです。

今回は、それと前回書いた健康診断の結果についても聞くことができました。
私のぱあい、体重がやはり多い、つまり肥満ということで、そこだけが問題のようです。
とにかく毎週一キロずつでも体重を減らしていくこととが鍵ですね。

さて、昼からは、沖ばあちゃん、妻の母の部屋で過ごしました。

そして、夕飯の後、家族で祈祷会、
私と長女、三女、四女、それと次男と四男、最後に妻が加わりました。
7人で祈りました。
みんな本音で祈ります。
一時間ぐらい祈ったでしょうか、
最後に私が祈って終わりました。
私のし乗り、それは初めの愛、に戻れるよう2、あの頃よりももっと深く主を愛することができるよう2。

それからお菓子を買いに行って久しぶりのお菓子パーティーと言っても、色々と話しました。
12時を過ぎたところで、明日のためにお開きにして眠りました。

やはり家族がともに祈るのは祝福です。

神さま、感謝します。

isaiah

2016年12月14日水曜日

学生ビザOK、北九州についに来た!!! Re: 14日の日記

今日は嬉しいことがたくさんありました。
まず朝、島原に行きました。
5人で行きました。
初穂牧師とドライバーの石田さん、奏楽者の百ちゃん、
そして私と、もう一人は、初穂さんの三男のヒロシくんです。

ヒロシくんは、先月から参加しています。
そして、もう島原ゴスペルクラブに入り、先月も訪問慰問コンサートにメンバーとしていきました。
先月は四人だけでしたが、その貴重なメンバーとしていきました。
お母さんに似て、笑顔がとても素敵です。

そして、昼過ぎ、私は一人でバスで北九州に向かっていると、
メールが三女から入ってきました。
機械の故障で1時間遅れましたが、無事今学生ビザが取れることになりましたと!!!!
これで、いよいよ1/10からアメリカのセントルイスに再び出発です。
半年間語学を学び、8月からは、キングス・ユニバーシティーで賛美のことを学びます。
2年間待ちましたが、ついに夢に向かって動き始めました。
日本製のバソコンを買ってあげないと・・

そして北九州に行くと、牧師の昔の職場の方が来られました。
この人は、もうすでにイエス様を、奥さんと子供さんと一緒に、牧師に勧められて信じたそうですが、
こうして教会に来たのは初めてだそうです。

私は「聖会に主が新しい方を送ってください」と祈っていたので、すごく嬉しかったです。
本当に時が来ているのですね。
熱心にみ言葉に聞き入っておられました。

最終バスで、今長崎に帰る途中です。
もうすぐ日付が変わります。
家に着くのは午前1時。
それから着替えて、今日は風呂に入ろうかな・・・
寝るのは2時過ぎるかも・・・
でも、心地よい疲れですね。

人が救われる、そして教会につながってくる、こんなに嬉しいことはありません。
やはり自分は神さまに召されているのですね。

isaiah




今日もハードな1日でした。  Re: 13日の日記

早天を今日は、妻としました。
と言っても妻は、5時から祈り出しても、6時には高一の末っ子を送り出さなければならず、
それが終われ理ともに祈っていると、今度は7時過ぎには高三の四女を送り出さなければ何ず、
途切れ途切れながらですが、それでも一緒に祈れたので、とても良かったです。

そして8時に家を出て路面電車で長崎駅まで行き、バスセンターでサンキュウパスを買い、
熊本行きの林道号に乗り、菊池インターでおり、
そこに迎えに来てくれた車で玉名に向かました。
玉名では「すし市場」でお昼を食べ、聖会へ。
祝福された後、大牟田まで車で行き、
西鉄で久留米へ。

久留米駅で、なかなか牧師と会えなかったのですが、なんとか会え、
夕飯にスシローに行き、そて聖会へ。

牧師の俊哉くんが、とても嬉しそうで幸せいっぱいなので、こちらにまで喜びが伝わってきて、とても祝福されました。
よほど結婚できたことが嬉しかったのか・・・

実は今日は奥様の誕生日だったとか・・
おめでとうございます。

教会も明るくなり、若い人たちが集い若返りました。
帰りはレンタカーで基山まで送っていただき、
そこから最終の高速バスで長崎へ。

長崎到着は午前1時、それから教会により、少し調べ物、家に着いたのは2時前でした。

今日もハードな1日でした。
主の祝福と恵みに感謝します。
おやすみなさい。

2016年12月13日火曜日

日記再開 Re: 12日の日記

長い間、日記を書きませんでした。
でも再び再開しようと思います。
特別な理由はありません。
メインで使うアドレスが変わったので、書きやすくなったから・・・
ということぐらいかな?

できるだけ毎日書けますように。

最近、体重計を、結婚の引き出物でもらった中から、妻が買いました。
それで、毎日、家にいるとときは体重を測るようになりました。
おかげで、少し増えるとすぐわかるので、ウエートが大きく増えることは無くなりました。
そして、祈ることにしました。
先週は82キロ台になるように祈り、
今週は81キロ台になるように祈りました。
それが今の私の信仰なので、無理をせず信じれるところから祈り始めました。

すると、先週は82.◯となり・・・今週はzei81.6とか81.5とかになりました。
小さなことですが、とても嬉しいです。
祈りは本当に聞かれますね。
今週後半から来週は80キロ台を祈ります。

isaiah

2016年11月18日金曜日

一浪で東京に行った時ー父の姿

一浪の時、東京に行きたいといつたら、
父は黙って、お金だけ出して送り出してくれました。

大阪に住んでいたので、友達は誰も歓迎してくれませんでした。
大学ならともかく、
浪人するのに東京に行くということは、
大阪の人には受け入れ難かったのでしょう。

父は、東京まで一緒に来て、寮を見に行き、
最後に東京駅だっと思いますが、新幹線で帰って行きました。
席が窓側ではなく、窓側の隣でしたが、
こちらを向いて手を振りながら、涙ぐんでいたように思います。
あの時の父の姿は、私の脳裏になぜか深く刻まれています。
今もはっきり覚えています。

もともとは涙もろいところがありましたが、
今回のことでは、それまでは涙などは見せなかったのですが、
その時は、思わずも涙が出てきたのでしょう。
父親になった今、父の気持ちがわかるような気がします。
一人息子を浪人生として東京において行く父は、
神様を信じていなかったら、
とても辛かったでしょうし、心配でたまらなかったと思いますが、
イエス・キリストに対する信仰があったので、
ああして私を送り出してくれたのだと思います。

それにしても私は、自分で自分の人生の道を決めてきました。
それは父がいたから出来たのだと今、よくわかります。
黙ってお金を出して、私の決定を受け入れてくれた父、
本当に私を信頼していてくれた父。

父の息子でよ良かったと改めて思います。

MAKOTO

2016年11月15日火曜日

高校入試

高校入試のとき、父は何も言いいませんでした。
私は模擬試験を受け、自分で高校を探し、私立も公立も自分で受験校を決めました。
決して口を出さない父ではでしたが、お金は何も言わずに出してくれました。

今から思えば間違いだらけの高校探しだったと思います。
偏差値だけでどこを受けるか決めるような感じだったように思います。
もっと、高校のカラーやその後の大学受験も考えて選べばよかったと、今になって思います。

父は、お金を出し、母と共に祈ってくれていたと思います。
私立を受ける前、よく勉強をしました。
公立はランクを一つ下げたので、もう勉強しなくなりました。
それでも合格できました。

でも、その結果、高校では勉強をほとんどしなかったように思います。
高校三年間は、私の人生のブラックホールでした。

父が「私立に行かせておけば良かったと」言ったことがあります。
二浪したことを考えると、私立に行ったほうが良かったかもしれません。
ただ、後悔はしていません。
浪人して東京に行きたいと言った時も、黙ってお金だけ出して行かせてくれました。
二浪の時も、合格したある地方の公立大学がありましたが、
父は、その合格証書を見せると喜んでくれて、お金を出して、黙って二浪させてくれました。

大学も全部自分で探し受けました。
現役の時も、一浪の時も、二浪した時も・・
今から思えば、たくさん受けすぎたと思います。
本当にお金のかかる子どもでした。

父は口を出さず、お金だけ出してくれて、
私は、自分でいつも決めて生きてきました。

自分が父親になって、父に本当に感謝しています。
自分も子どもたちに、父のようにしてしてあげたいと思っても、全く父のようにしてあげれませんでした。

MAKOTO

2016年11月14日月曜日

山登りが好きになった父

父と中学生の頃と高校生の頃、山登りに行った。
それは私が誘った。
それから父は、山登りに病みつきになった。
一人でも行き、結婚した姉の婿殿を連れて一緒に行ったりしたようだ。

愛媛の弓削島という田舎に育った父は、瀬戸内海という海で育った。
ところが、目が悪かったので、父のことを思う母が、
四国八十八ヶ所巡りに連れて行ったそうで、
山登りもしていたのだろう。

祈りつつ登り、休憩の時に、必ず賛美歌や聖歌を歌う。
初孫のこうじは、山に一緒に登ったことがあるので、
「主我を愛す」と前夜式で前奏が流れると、
おじいちゃんを思い出して号涙したほどだ。

isaiah

2016年11月6日日曜日

使用学生の頃〜いつも行った「道明寺」の写生

小学生の頃、
父と一緒にキャンパスを持って、近鉄の電車に乗って「道明寺」という駅まで行きました。
そこで降りて少し歩いて写生をするのです。

姉も一緒でした。
姉によるとお弁当を持って、手を繋いで行ったそうです。
わたしは、そこらへんはよく覚えていないのですが、写生したことはよく覚えています。
絵を描いている時の父は穏やかでした。
そして行きと帰りの電車の中も楽しかったです。

目が悪く視力が弱かった父なのに、なぜか絵を描くことが好きでうまかった父です。

帰りには、夏だとアイスを食べました。かき氷も食べたような気がします。
秋とか春にも何か美味しいものを食べたと思います。
一年に一度は必ず行きました。

自分が父になってから、自分の子どもたちには、そういう思い出を作ってあげれなかったので、申し訳なく思います。

2016年11月1日火曜日

父の思い出〜幼い頃

幼い頃、父は怖かった。

とても愛情は豊かな人でした。

でも、一旦怒り、「まこと」と父が叫ぶと、
私の体はこわばり身動きできなくなり、涙が出てきた。

父は短期で感情的な人でした。

怒ると本当に怖かったです。

前夜式の時、私より7学年、6歳上の一番上の姉が、
「孫たちにとっては、
 おじいちゃんは優しいかったかもしれないが、
 私には、やはり怖くて厳しかった。」
と言ったのが、印象的でした。
姉は十字架を背負ったのだと思います。

父は、歳を取り、とても優しく、柔らかい人に変わっていきました。

私の妻は
「結婚して良かったのは、舅と姑さんが良かったこと」
と真顔で言いいます。
妻の本音だと思います。
確かに父は変わりました。

いろんなことがありましたが、
64年間?、教会から、キリストから離れなかった父。

母といろいろとぶつかり喧嘩もしながら、
それでも62年間、向き合い続けた父、

だから神様の愛の中で、
父は変えられて行ったのでしょう。
イエスさまの恵みは尽きず、
聖霊さまの助けを受けて、
父は長い年月をかけて、キリストに近づいていつたのだと思います。

2016年10月30日日曜日

父の思い出を書き始めます。

父・木原忠治が天国へ帰って明日で2週間になります。
そろそろ父の思い出を書いていこうかと思います。

小さい頃のこと、中学生、高校生、そして浪人時代、
大学に入ってから・・・
大学生活が人より長かったので・・・いろいろあります。

大学時代には明確なボーンアゲイン、洗礼、そして、献身、

結婚、

木原の初孫、長男、
次男、次女、三男、三女、四女、四男、

書き出すとたくさんありますが・・・

神様への感謝を込めて、慌てず、一つ一つ書いていこうと思います。

木原忠治の息子として生まれて、本当に良かったと今、思います。

父を天国に送るとき、一言言うとしたら「ありがとう」

そして「あなたの息子に生まれて本当に良かったと思います。」

いろんなことがありましした。
でもその全てを含めて、父の生き様は私にとって父親として、目標です。
クリスチャンの家長として、模範でした。

木原忠治の長男・イザヤ木原真

2016年10月7日金曜日

久しぶりに会った父の入院

先日、久しぶりに両親と会いました。
父は前日、頭をあらつた後、気持ちよくなりに時間ばかり寝たそうですが、
その後から苦しくなり、このまま天国に行くのかと本当に思ったそうです。
でも、その前に真(わたしのこと)が車では生かしてくださいとイエス様に祈ったそうです。
その後回復して、わたしが合った時はだいぶ元気になっていました。
といつても、もうすぐ91歳なので・・

父は真に祈って欲しかったと言い、わたしは手を置いて祈りました。
息子として全く何もして挙げれず、未だに助けてもらうことの方が多い情けないわたしですが、
祈ることができるのは最高の恵みです。
イエス様に助けていただけるのは最高の祝福です。
それがわたしの親孝行、というかイエス様の恵みです。

わたしが帰った翌日、父は再び入院しました。
肺気腫で杯に水がたまつているけれど、もう高齢なので、抜く手術はしないということでした。

また父をお見舞いに、今度は妻とともにいければと願っています。
isaiah

2016年9月29日木曜日

サーピスエリアで過ごす一夜

今、夜中の午前1時10分。
基山サーピスエリアにいる。
まさかの高速バスの乗り継ぎミス。
時間が変わっていた。
ということで長崎に帰れず、ここで一夜を過ごすことに、
ところが、サービスエリアの休憩所は閉まってしまった。
しかも外は雨。
本当に感謝である。

あまり明るくない少し雨をしのげる場所で、
聖書を読んで過ごすしかないかな。

ローソンがあるのだが、いつまで営業しているのだろうか。
朝の7時までバスも来ない。
神様とゆっくり交われるいいチャンスかもしれない。
神さまに感謝して、
イエス・キリストと聖霊さまに助けていただいて、
深く交わろう。

起きてたら、また朝方投稿します。

isaiah

2016年9月18日日曜日

子どもたちと共に礼拝

日曜日。
第二礼拝に子どもたちが揃った。
最初に四男のイザヤ。
少し遅れて三男のヨハネ。
そして礼拝が始まってから長男のダニエル、
途中から次男エルサレム、

男の子四人が後ろの席に並んで座っていたのは何か個人的には感動だった。

三女四女は礼拝前から奉仕があるので、いました。
そこへ礼拝が始まってから次女のいつくしみも来て、
長女以外はみんな揃いました。

子どもたちがみんなそろって一緒に礼拝できるのは、喜びです。

また長男は香港へ。
三男は厚木へ、
次女は大阪へ帰っていきます。

たとえひと時でも共に礼拝できたのは嬉しかったですね。

isaiah

2016年9月15日木曜日

妻の誕生日のお祝いにスシロー

今日は妻の誕生日のお祝いに、
妻と妻のお母さんと3人で、
スシローに行きました。

妻のお母さんがよく喋って、
妻はとても喜んでいました。
これからは時々行ければと思います。

教会では、安息日でしたが、
PA講習会が行われました。
沢山の人が来たようです。

俊也牧師が久留米に遣わされ、
これから、PAもオンラインも
新しい時代になります。

賛美も大きく変わるでしょう。
神さまに期待して、楽しみにしています。
イエスキリストの愛と勝利があふれる賛美が
豊かに注がれて来ますように!

isaiah

iPadから送信

9/11 礼拝で跪きたくなりました。

日曜日、
今日は、私自身は良い状態ではなかった。
しかし、第二礼拝の臨在はすごかった。
後半賛美の時に、思わずも膝間付きそうになつた。
こんなことは久しぶりである。

バイオリンに応答した人が三人いた。
その3人がまだエアーではあるが、
オーケストラのところに座った。
神様がとても喜ばれているのがわかった。
きっとこれから、オーケストラも、賛美もさらに引き上げられていくだろう。

神さまに従うことは本当に祝福だと、よくわかった。

Isaiah

妻の誕生日

今日は妻の誕生日だった。
でも、妻は朝から婦人祈祷会に母を連れて行き、
私は昼から来た北九州に奉仕で向かったので、
特に何もできませんでした。

明日、私たちの安息日なので、
お昼でも一緒に食べに行ければと思う。

妻は54歳。
イエスさまが大好きで、教会にいつもいて生き生きとしていた。
でも今はお母さんの介護で、教会にはほとんどいない。

そこに御心があると本人も私も思っている。
今の時を喜んで母と過ごせるように、
とりなしていく心を持ちたいと思う。


北九州では、若い子が積極的に奉仕していたのが嬉しかった。

Isaiah

2016年9月4日日曜日

疲れ果てて、寝過ごしそうになっても用いてくださるイエス・キリスト

説教の準備一息、

今日は、と言ってももう日曜日ですが・・
朝からJRで博多に出て、飯塚まで行きました。
聖書を読もうと思っても、あまりに眠いのと、疲れで博多では車掌さんに起こしてもらい、
飯塚では乗り越しそうになりました。

本当にこんな状態で飯塚教会に行っていいのかな、
私は本当に御心を行ってるのかな、
そんなことを思いなから・・
私が主のみ心を行っているなら、はっきりわかるように教えてください。
特に新しい人が導かれてきますように、
と心で祈ったというより、叫びました・・

すると、教会の方のご主人が、生まれて初めて教会に来ました。
最近、教会を休んでいた人も来ました。
いつも終わるとすぐ帰っていた人が、最後まで残り、心の中にあることを話してくれました。
ここ何回か、来たくても来れなかった親子が揃ってこれました。

そして、みんな真剣に聖書の話を聞いていました。
お祈りの時も、心を開いて祈れました。

こんな私でも神様は、用いて使ってくださるのだなと、嬉しくなりました。

明日(もう今日ですが)の礼拝でも、神さまが働いてくださることを信じています。
イエス・キリストご自身が教会の頭、主任牧師ですから・・・

isaiah

2016年8月27日土曜日

久しぶりの五島マラソン?

久しぶりに五島に行くことになりました。

朝から車で大波止まで送ってもらい、
サァ、フェリーと思ったら、人・人・人・ひと・ヒト・人・・・
五島夕焼けマラソンに出る人で、整理番号417番、
一番からいたので、驚きでした。
しかも、私の後にも続々と・・
500人ぐらい乗ったのでしょうか。
座る場所もなく、通路にゴザが出てきてみんな座り込みます。

それでも横になって寝る人がいるので大胆ですね。

なんとか五島につき、車でお迎えに来ていただき、
一時間近くかかる少し遠い施設に、行きました。

お昼をいただき、まず礼拝、そして祈り、、練習と続きます。
そして本番、50人ぐらいの人が集まりました。
後ろにはスタッフの人達も来ています。

コンサートは、私的には良かったです。
PEACE CDが3枚売れました。

これから帰ります。
帰りはゆっくり座れそうです。
横になって眠って帰ろうか。
でも、明日礼拝なので、準備が・・
それと五千字の原稿を書かなければ・・・

Isaiah

2016年8月19日金曜日

久しぶりの愛餐会・送別会 16日の日記

久しぶりに愛餐会をしました。
送別会と言った方がいいかもしれません。

三年前にフィリピンに宣教に行ったあと、2人のフィリピン人が長崎教会に来ました。
その一人が、今回帰国するメルビンさんでした。
彼は、フィリビンから出稼ぎに来る若者たちを、次々と教会に導いてきました。
おそらく軽く100人は超えているでしょう。
200人近くいたと思います。

彼は一番最初に、私たちがフィリピンのダバオに導かれた教会の当時の牧師であるカスティーヨ牧師の教会から来たのでした。
特別な神様の導きを感じます。
彼と彼を通して導かれたフィリピンの若者たちは、神様からの私たちへのプレゼント、贈り物でした。

全部で50人ぐらいの人たちが集った愛餐・送別会になりました。

2016年8月17日水曜日

久しぶりの愛餐会・送別会 16日の日記

久しぶりに愛餐会をしました。
送別会と言った方がいいかもしれません。

三年前にフィリピンに宣教に行ったあと、2人のフィリピン人が長崎教会に来ました。
その一人が、今回帰国するメルビンさんでした。
彼は、フィリビンから出稼ぎに来る若者たちを、次々と教会に導いてきました。
おそらく軽く100人は超えているでしょう。
200人近くいたと思います。

彼は一番最初に、私たちがフィリピンのダバオに導かれた教会の当時の牧師であるカスティーヨ牧師の教会から来たのでした。
特別な神様の導きを感じます。
彼と彼を通して導かれたフィリピンの若者たちは、神様からの私たちへのプレゼント、贈り物でした。

全部で50人ぐらいの人たちが集った愛餐・送別会になりました。

2016年8月13日土曜日

祝福された早天、聖会、うけたと信じる 12日の日記

金曜日。

妻が父が来たので、夫婦の部屋で寝ました。
朝早く起きて祈りました。
そして、教会の早天へ。

賛美・預言・感謝。
この感謝が、断食祈祷会の時に示されたので、
徹底して受けたと信じて、
具体的に最初から神様が、
この長崎に示された感謝をしました。

そして、メッセージ。
感謝している時に示された
「受けたと信じて言う」ということについて語りました。
長崎教会のことや
自分自身のことを語るように導かれ、驚きました。

とても祝福された早天でした。

終わって一旦帰宅。
朝ごはんを食べて、再び教会へ。
そして9時から6時間祈祷会。
カトリック・長崎・にヘホン・アジア
そしてエルサレム・イスラエル・全世界と祈ります。

今日はとても祈れました。
賛美・預言・感謝、
カトリックの祈りが具体的に導かれます。
そして長崎、教会のこと、礼拝のこと・・・
祈りが与えられます。
さらに日本・・・アジア・・・

ここで私は抜け出して、筑豊へJRで向かいます。

最近書けなかった「今日のみことば」を
書けるようにと祈ったら、
電車の中で、一気に書けました。

祈りは本当に聞かれます。

その原稿を、筑豊についてから、
コンビニの前の駐車場に、
迎えの車を止めてもらって送りました。

筑豊の聖会も、とても祝福され車で筑紫野まで送ってもらい、
最終バスで長崎へ帰ります。

到着は午前一時を回るかな・・・

Isaiah

美術館に行きました。ピクサー展をしていました。 11日の日記

休日。
次男と一緒に美術館に行きました。

妻が私が美術館に行くと言ったので、驚いていました。
確かにいままで自分から美術館に行ったことなどないので・・・

まず、県立美術館の1階でしている無料で観れる常設展ではなかったようですが、
一般の方の作品の展示会がしていました。

いろんな発見がありました。
近くで見るとよくわからなかったり、イマイチいまさんと思った絵が、
遠くから見ると良かったりして、面白いなーと思いました。

明るい絵と暗い絵、
激しさ家と静かな絵、
内面の感情を感じさせる絵、

今回見た絵の中では、
女性の絵の方が激しくて暗かったのは、
これまた驚きで不思議でした。

外国人、特にアメリカの方達の絵もあったのですが、
はつきり日本人とは違うのです。
それもまた面白かったです。

そして、それから二階のピクサー展に行きました。
なんと一人1400円、
入る前は高いと思いましたが、
観終わった後は、それだけの価値があると思いました。

ただ最後のグッズは高くて手が出ませんでした。
教会でいつも右手うちわをしている人がいるので、
うちわをお土産にと思ったら、
一つのうちわが1080円、
これがおそらく一番安い商品ではと思います。
Tシャツも軽く3千円は越えていきます。

それが普通の相場なのかもしれません。
でも私には、高くて手がでなかっです。

ピクサー展のことはいつか、ゆっくり書きたいと思います。
中味が濃すぎました。
1日かけても見ることが出来る内容でした。
次男と行けて、本当に良かったです。


それから浜勝でロースカツを食べました。
浜勝は久しぶりです。

次男と色々話せて、
父としてはとても憂かったです。
次男の方はどうだったか・・・

夜、妻の父が来ました。
妻の母と父と共に16日まで過ごします。
祝福された時となりますように。
神様、よろしくお願いします。

Isaiah

2016年8月11日木曜日

成り立たなかった断食祈祷会

連日オリンピックのことが放送されているようです。
私もパソコンでチエツクしてみています。

ところが、高校野球はそれに比べると、
あまり盛り上がっていないような気もしますが・・・
長崎県の代表は1回戦で負けました。

昔は、高校野球が好きで、
父などはトーナメント表まで作っていたほどです。
高校野球に出てくる高校の名前で
都市名と、どこの県にあるのかを覚えました。
今は私立が多く高校名では都市や県は、
わからないことが多いような気もします。

さて、10日は断食最後の日でしたが
12時からの祈祷会が成り立ちませんでした。
というは、
仕事を休んで来られた女性の O牧師と
私の二人になったからです。

S牧師とY牧師とT牧師は仕事、
J牧師と私の妻は介護、
YY牧師は休職中、
伝道師補たちもアルバイト、

とても寂しい残念な気持ちでしたが、
はっきり語りかけはありました。
神さまは私に向かって、
あなたが長崎教会の牧師として
心を定めて、ここで主に仕えなさい。
と言っておられるのだと思います。

パトモス、白馬と続いた、
いやアメリカ、パトモス、白馬と続いた派遣の締めくくりとして、
今回の断食祈祷会は、とても意味のあるものとなりました。

Isaiah

2016年8月9日火曜日

長崎原爆の日。

8月9日、長崎原爆の日。
私は昨日に続き、教会で断食をしていました。

お昼に郵便局に行く用事があったまで歩いて行くと、
道の至る所に、警察の方が機動隊とともにたくさんいました。

一瞬にして7万人の命を奪い、
その後もそれ以外に、7万人以上の命を奪い続けている原爆、

被爆者たちの戦争を2度とするなという叫びは、心の底からの絶叫だろう。
にもかかわらず、世界も日本も戦争に確実に進んでいる、
そんな風に思うのは私だけではないだろう。

残念ながら、人の中にある罪は、再び戦争を起こしてしまうだろう。
そして、今までで最も厳しい時代かやってくるだろう。

イエス・キリストを知ってほしい。
人間は本来永遠の存在なのだということに気づいてほしい。

かつて一発の爆弾が一瞬にして、多くの命を奪ったように、

この終わりの時代に、
聖霊の炎がこの地に注がれて、
一瞬にして7万人以上のはるかに多くの人々の命が救われ、
永遠の命を受けるようになる時が来ることを信じている。
isaiah


2016年8月6日土曜日

病院にお見舞いのはしご 5日の日記

朝、早天に行かず、家で妻と祈りました。
そして、9時から15時まで教会で祈祷会。
賛美、預言、感謝に続き、
カトリック、長崎、日本、アジア、
そして、エルサレム、イスラエル、全世界、
と祈り続けます。

毎週行っていますが、
私は久しぶりに最初から最後まで出て祈れました。

それが終わって、
いつも教会のために祈っていた
祈り手の婦人牧師のお見舞いに、
J牧師と教会の方と行きました。

車の運転は正直得意ではありませんかず、
私しかいないので、
昨日更新したばかりの免許で行きました。

この方は、白馬キャンプの最後の日の朝、
バイクで転倒し救急車で運ばれました。

随分元気になっておられて安心しました。
神様に感謝です。

実はご主人も真夜中に救急車で運ばれて入院しました。
近くの別の病院ですが・・・

そちらにもお見舞いに行きました。

突然のお見舞いに驚いた顔をされ、
お話ししているうちに歯がゆいと泣かれます。
J牧師がゆっくりと色々と話されます。
私はといえば、ただお顔を見ながらお話しを聞くしかできません。
J牧師は、4年間、ご高齢の母の介護をし、
90歳を過ぎた父の介護を、今もしながら
自分の癌とも戦ってこられました。

やはり、主に従った4年間は意味があったのだと、
横で彼と話すJ牧師を見ながら思いました。

心を込めてお祈りをして、帰りました。

ご夫妻をお見舞いできて、本当に良かったです。

帰って、食事をしてラジオの生放送。
久しぶりです。
これまた久しぶりの次男とともにオンエアー!

タッチ・ケアーにオキシドシン、
とても楽しい時間になりました。

そして教会へ。
徹夜祈祷をして、家に帰ったのは午前2時。

明日は飯塚に行きます。
眠くなりませんように。

isaiah

休日 4日の日記

休日。
久しぶりにまる一日本当のお休みです。
まず9時に郵便局に行き、末っ子の口座を作りました。
奨学金のためです。
それから、銀行に行き振り込みを済ませ、
保険の書類を書いて郵便で送りました。

帰ってきて、少し休み、
昼から妻と長女とともに大村にある免許試験所?i。
免許の更新です。
わたしは違反講習を受けないといけないそうです。
3年の免許、一度5年の優良になったことがあったのですが・・
2時間講習を受け、無事免許が新しくなり、帰宅。

夕飯は、家族で食卓を囲みました。
家族で一緒に食事をするのはいいことですね。
それが一番休みになったような気がします。

Isaiah

久しぶりの島鉄と有明フェリー 3日の日記

今日は、久しぶりに島鉄と有明フェリーに乗りました。
JRで諫早まで行き、島鉄で多以良町でおり、歩いてフェリー乗り場へ。
有明フェリーで、多比良港から長洲港へ。
そこからは車で会場に向かいました。

聖会は、いつもとても祝福されますが、
今回は7月に、ご主人が召された方と姉が召された方がおられ、
天国の話が導かれました。

永遠の命が与えられていること、
つまり永遠の存在である、ということは素晴らしいことですね。

帰りに祈りによったお宅で、
パッビイーテーブルが、
3月にしたコンサートに来ていた
四男の友達がいて驚きました。
不思議な導きです。

帰りもフェリーと島鉄、そしてJR、今日も早めに帰れました。

isaiah

久しぶりの島鉄と有明フェリー 3日の日記

今日は、久しぶりに島鉄と有明フェリーに乗りました。
JRで諫早まで行き、島鉄で多以良町でおり、歩いてフェリー乗り場へ。
有明フェリーで、多比良港から長洲港へ。
そこからは車で会場に向かいました。

聖会は、いつもとても祝福されますが、
今回は7月に、ご主人が召された方と姉が召された方がおられ、
天国の話が導かれました。

永遠の命が与えられていること、
つまり永遠の存在である、ということは素晴らしいことですね。

帰りに祈りによったお宅で、
パッビイーテーブルが、
3月にしたコンサートに来ていた
四男の友達がいて驚きました。
不思議な導きです。

帰りもフェリーと島鉄、そしてJR、今日も早めに帰れました。

isaiah

2016年8月5日金曜日

大村に響け、特別賛美歌声

島原から多良見のゴスペルのはしごを終え、大村へ。

予定より、一時間以上早く着きました。
それで、一時間早くスタート。
みんなで賛美をした後に、特別賛美。
最初は大水の音、コントラ・バスちゃんが歌います。
続いてイチジクの木、百ちゃんの賛美です。
そして、島原ゴスペルクラブ。
統合失調症から癒された牧師の笑顔と石と百のコンビです。

最後のトリは、大村のバスタージョイ、
ミルトスの片割れとして、美声を響かせます。

その後、もう一度みんなで賛美をして、
聖書のお話、とても主が望まれました。
その後、お祈りをすると、痛かった膝が治り、
普通に歩けるようになったご年配の女性、この土地のドン。
神様は確かに何かを始めておられますね。

早めに終わり、教会に帰ると9時でした。
こんなに早く帰れると嬉しいですね。
でも朝から13時間経つていました。
isaiah

島原から多良見へ、ゴスペルのはしご 2日の日記

8月2日は、島原、多良見、大村と3箇所で、
礼拝や集会と共にゴスペルクラブもしました。

早天を終えて、7時50分集合。
心配されたドライバーのイッシーは、
時間通りに到着、
やはり賛美となると朝も強い?

百ちゃんの車で島原にGO、
するとトンデモ無いことを発見、
百ちゃんはクーラー嫌い、
ということでクーラーを使っていないので、
車のクーラーが全く効かない、
クーラーガスが無いのかも・・

暑い中、感謝をしつつ、島原へ。
朝はいいが、昼はどうなるのだろうと思いつつ・・・

島原の礼拝もゴスペルクラブも、とても祝福されました。
礼拝には8人、そのままゴスペルクラブも8人で練習。
楽しかったです。

そして・・・車に・・・
窓を開け、感謝をしつつ、多良見に向かって出発、
多良見近くになった時、JOYFULへ。
お腹も減ったのですが、
クーラーのあるところに、
しばらく入らないと危険を感じたのです・・

遅めの昼食を終え、多良見へ。

多良見の聖会もゴスペルクラブも良かったです。
特に、いっすいの指導はなかなかでした????

それから大村に向かいました。
夕方になり、少しは暑さもマシになりました・・

大村のことはまた次回に・・・
isaiah

2016年8月1日月曜日

賛美祈祷会

久しぶりに賛美祈祷会に出て導きをしました。
4時半までと知らず、
5時まで祈ってしまいました。

礼拝の賛美、霊とまことをもって礼拝すること、
その祈りが導かれました。
いつもより祈りがみんなきつかったようです。
やはり、野見山牧師の方が祈りやいすいのかな?

ともあれ、
再び戦いの最前線に立って、祈り賛美しようと思います。
天が開かれて、霊と真を持った礼拝がささげられ、
会衆が一つになって賛美する礼拝となるように。

isaiah

賛美、長崎教会に主が与えられた賛美 

白馬キャンプが終わりました。
パトモス・白馬と続く中で、10年来苦しんでいたことが、
自分の中でいろんなことがスッキリしました。

15位までに九州から出たチームは入りませんでしたが、
良かったと思っています。

枠は一つ九州ということでいただけるようですが、
枠がなくなって、逆に自由になりました。

賛美を求めていきたいと思います。
まっすぐに賛美を求めていきたと思います。

人が完全に消えて、
イエス・キリストの御名だけがあがめられる賛美を求めていきたいと思います。
グループも賛美している人も消えて
イエス・キリストの御名だけが崇められる賛美を求めていきたいと思います。
礼拝の中で、初めて来た人が、神さまに触れられ、
イエス・キリストに出会ってしまう賛美を求めていきたいと思います。

極端なほどにそこに徹底していきたいと思います。
それが長崎教会に与えられた賛美・使命だとはっきりわかりました。

とてもスッキリしました。
いろんな賛美があり、いろんな導きがあります。
神さまは広く大きいのです。

わたしは、わたしに導かれた主の道を歩みます。
久しぶりに爽やかに礼拝で賛美できました。
isaiah

リバイバルが始まって、
長崎の小さな教会に
リバイバルの炎の火が注がれる時が来ました。

2016年7月27日水曜日

白馬へのバス16時間の旅の前に・・  26日の日記

月曜日、遅く帰ったこともあり、久しぶりに眠れなかった。
そのため、早天に起きて妻としたのだけれど、
ぼーっとしてしまった。
最近はしっかり起きて祈っていたので、久しぶりです。
これも感謝です。

今日は白馬に向けてバスで出発する。
だから今日中にしなければいけないことをしてしまわないと・・

末っ子の奨学金の手続き、
保証人が必要だった。
こんな時いつも助けてくださるのがS兄だ。
郵便局に行き、末っ子の口座を開き、ATMでお金を出す。
銀行に行き、家賃の振込、
そしてS宅へ行き、実印と印鑑登録書をお借りして、
市役所の出先機関のあるチトピーへ。

印鑑登録書を私とS兄分を取り、
他の書類と一緒に。
郵便局から高校へ速達で送る。

そして帰宅。

しばらく休み、食事して、
いよいよ白馬に向け出発。

今年は、私と三女と末っ子の三人。
白馬で三女に会う。
四女は県からシンガポールとオーストラリアへ、
明日から出発。
長男は明日、誕生日。

白馬にむけて、バスが出発。
16時間の旅が始まる。

Isaiah

青春18切符、八代への一日の旅 25日の日記

朝、早天を途中で切り上げて、
浦上駅へ歩いていきます。
歩かないと、これ以上太るとまずいので・・・

青春18切符を買って、
普通列車を乗り換えて、八代に向かいます。
大牟田駅で、乗り換え時間が短く、乗り遅れました。
実は女子高校生が、駅員服を着て、
キャンペーンか何かをしていたので聞いたら、
間違えて乗り遅れました。

感謝です。

その結果、一時間遅れで到着。

手作りの昼ご飯をいただきました。
うなぎ丼、サラダ、冷奴、等々
ごちそうさまでした。

まずはセミナー、
そして聖会、ミニストリー、
祝福された時間を過ごし、
帰途につきます。

帰りは八代から熊本へ、
ここでも脳とした電車が目の前で発車、
また乗り遅れました。
その結果、熊本の接続も亜うまくいかず、
鳥栖まで予定よりかかりました。

鳥栖からはカモメに乗り、浦上に帰ってきました。
時間は午後9時。

朝6時半から14時間半の旅でした。
今度は新幹線で行きましょう。

妻が駅まで迎えに来てくれて、
それから教会への牧師会に突入。

家に帰ったのは、12時近くでした。

青春18切符の残りは、
今度、三女が東京の心ゴスペルに行く時に使います。

isaiah

2016年7月24日日曜日

長崎で迎える久しぶりの日曜礼拝 24日の日記

日曜日。

日本で迎える久しぶりの日曜日の朝。
長崎教会で礼拝をしました。
早天の後、
第一、第二、午後の第三、インターナショナル、
と礼拝と奉仕が続くと、
さすがに体がきつくなりました。
メッセージするたびに霊は元気になるのですが、
土曜日はほぼ徹夜なので、眠くなってしまいます。

それでも本当に祝福された一日でした。

これから家に帰ります。
家がある、家族がいるというのは、本当に幸せなことだな、
と最近しみじみ思います。

Isaiah



2016年7月23日土曜日

オヘストラリアドルトシンガポールドル、安いレートで替えれました。

福岡空港国際線出発口に、
外貨交換のできる銀行がありますが、
SBJ銀行に行くときには、
ホームページを開いて
「30%手数利用割引券」を持って行くと、
とてもお得です。

今日は、ちようど今、
オーストラリアドルとシンガポールドルは手数料2円引きをしており、
その上で、30%引きになるので、
とても安いレートで替えることができました。

今回は、娘が長崎県教育委員会から行く
シンガーポール・ストラリアの教育ツアーに行けるようになったので、
そんなにたくさん買えないので、
それほど大きな差にはなりませんが、
何十万という単位で替えるときにはとても大きいですね。

今日は少しでしたが得をした気分です。
神様に感謝?

isaiah

佐世保から北九州へ祝福の1日 22日の日記

誕生日の日が終わり翌朝、
妻と5時から早天。
6時まで祈り、教会へ。

教会の早天に参加し、7時半まで祈りと聖書。
それから「今日のみことば」を書き、
8時20分に教会を出発。

8時39分だったと思いますが、バスに乗り佐世保へ。
少し予定より遅れて日字に到着。

佐世保の牧師のお迎えで、まず郵便局に。
そして教会へ。

10時半からセミナー・聖会と続き、とても祝福されました。
ちょっと調子に乗りすぎたような気もします。
いつもへりくだかれていますように。

そして2時のバスに乗るため、食事せずにバス停へ。

博多駅に着くと、
バスだと間に合わず、新幹線だと早いので、
どうしようと思っていると、
快速が6時前に小倉駅に到着するという。

しめた、これで1290円で助かった。
いつも交通費をいかに安くするかで戦い続けてきたので、
嬉しかったです。

そして北九州へ。
日本に帰ってきたので、
大好きなきつねうどんを食べましたが、
これがイマイチで感謝でした。

でもセミナーと聖会は祝福されました。
奉仕できることは、本当に恵みですね。

今度は新幹線で博多に、
そして最終バスで長崎の松山町へ、今帰る途中。
都市高速で事故があり遅延。
1時までに着くかな・・・

新しい家の鍵を持っていないので、
入れるかな・・・

まぁ、教会で寝るのも・・・いいかな。

isaiah

妻に服を買う喜び 21日の日記②

お昼近くに起きて、妻と引越しの手続きに行きました。

チトセピアに行くと
2階に市役所の出張所があります。
転居届を出し、
早速、住民票を取りました。

それからうどん和妻と食べ、買い物に。

なぜか、妻の服を買うことに・・・
嬉しかったですね。
今まで、誕生日には何かもらうことばかりでしたが、
やっと愛する者に与える人になれるスタート台に立てたようで・・・
金額にすれば大したことないのですが・・・
それでも、とても嬉しかったです。
妻と一緒に買い物をして、
妻に服を買ってあげることが出来たことが・・

家に帰って、また休みました。
やはりかなり疲れていたのでしょう。
その間に妻はケーキを作ってくれて、
家族みんなで、HAPPY BIRTHDAY!!!

3男からもメールが来てました。

最後は家族で祈祷会。
三男もスカイプいやライン?で参加。
ということで、
子ども6人,妻と私の8人で祈りました。

祝福された1日でした。
Isaiah

おやすみ 21日の日記①

久しぶりの休日でした。

早天の途中で、6時に教会へ行き、
車でパウロ牧師の泊まっているホテルに向かい、
6時半から空港までお送りしました。

南のホテルで、
すぐに出島道路、
そのまま長崎自動車道に乗り、
空港まで、あっという間でした。
7時には空港到着。

帰りはラッシュに巻き込まれ、
8時過ぎに駐車場へ。

歩いて教会へ行き、
今日のみことばを書き始めましたが、
さすがにダウン。
家に帰り休みました。
気がつけば昼近くでした。
やはり疲れていたんですね。

isaiah

統合失調症から癒されて5年ぶりの島原カリスマ聖会 20日の日記

朝、目覚めて妻と早天、
教会は昨日徹夜で、今日の早天はない。

6時には末っ子を起こす。

私も6時過ぎに教会に行き、
一人で祈り、
それから準備をする。

7時半に、
一緒に島原に行くメンバーがやってきました。

車で4人、キーボードを乗せ、島原に向け出発。

9時半近くに会場に着きセッティング。
10時過ぎにパウロ牧師たちが到着。
10時20分、聖会開始。
セミナーが始まり、休憩の後、カリスマ聖会、

司会、
前半賛美リーダー、
預言にショートメッセージを
HO牧師がしました。

統合失調症だった彼女が、
完全に癒されて奉仕にたちました。
とても感動しました。

5年ぶりのパウロ牧師を招いての聖会。
神様の真実と時の完全さを思います。

isaiah

末っ子の誕生日 19日の日記

朝早く目が覚めました。
4時前、トイレに行き、
せっかくなので一人で祈りました。
5時に妻を起こし、
早天開始、6時に末っ子を起こし、登校準備、
今日は末つ子の誕生日、16際、高校一年生。
祝福の祈りをして、教会へ。
準備をして、電車の駅まで歩いて行きました。

博多駅で福岡の牧師に拾ってもらい、
ホテルにパウロ牧師をお迎えに行きました。
そこから柳川へ。
新しい方が来て、祝福された聖会となりました。

そして熊本へというときに、
ホテルが昨晩取れていないことに気がついたということを
福岡の牧師から聞きました。

今朝取り直したのですが、
私の分は禁煙が取れず喫煙とか・・・
私は、胸が良くないので、
喫煙の部屋は真面目に生存に関わる・・
ということで、今日はバスで帰ることに・・・
その方が泊まるより安いので・・・

ということで、まさかの二日連続で帰宅。

でもその結果、三男の誕生日会に出席できました。
ハレルヤ!!!
全ては益になる。

ケーキも食べれましたし、三男とも話ずできました。
他の子供達とね話ができたし、妻とも二日連続で祈り話せました。

神様は本当に愛の方ですね。

Isaiah

成田から福岡へ、直接奉仕へ。 18日の日記。

トルコのクーデターで、
1日遅れて日本に17日の夜に帰国。

そのまま成田に娘と泊まり、18日に成田から福岡に格安飛行機で飛び、
娘は長崎な帰宅。
私は、そのまま東京から来て下さったパウロ牧師と共に飯塚へ。

飯塚で奉仕し、福岡へ。

車で移動。
今回は筑豊李Y姉妹の貸して下さった赤いワゴン、
なかなか格好いい。

祭日でしたが、昼は何とか食堂、夜はスシロー。
共に並ばずに食べれました。
感謝です。

私は、夜、セミナーが終わり、聖会の途中で帰宅、
本当に申し訳ないことをしましたが、
長崎に戻らないと着替えもないし、何にもない。

ということで、許していただきました。

家に着いたのは、それでも11時近く。
風呂に入り、妻と祈り、
引越した家で、家族みんなのいる家で寝ました。

Isaiah

2016年7月17日日曜日

帰ってきました。

お祈りを心から感謝します。
午後9時前に成田空港に着きました。

ホテル探しに時間がかかり、
ホテルチェックインは午後10時半になりました。
それから部屋で喜びとまず日曜礼拝、
ただ聖餐が準備できなくて・・
でも献金はしました。

明日は、朝5時半のシャトルで空港に行き、
成田から福岡に飛びます。

パウロ牧師といつしょに九州を回ります。
家にいつ帰れるかな・・・
感謝します。

isaiah

帰国便の航空券、取れました!!!

お祈りを本当にありがとうございます。
長い長蛇の列に並びながら、本当に飛行機のチケットは取れるのだろうか。
帰れるのだろうかと思いましたが、
突然、成田行きのために別のカウンターを日本人のために作ってくださり、
奇跡的に全員、帰国便が発見されました。
ハレルヤ!!!

神様に感謝、
とりなしくださった方々に感謝、
教会に感謝、
そして外墓省の方と領事館の方に感謝、

必ず今夜の真夜中、1:40のフライトが飛ぶようにお祈りを続けて、
よろしくお願いいたします。

イザヤ木原真

2016年7月16日土曜日

トルコの空港で足止め

トルコの空港に足止め。
トルコでクーデターが起こり、空港が完全閉鎖。
みんなが一度逃げ出してパニックになりかけたり、
戦車が走っていたり、爆弾のような大きな音が炸裂したり、
最後の最後に派遣の中で驚くようなことが起こりました。

でも、空港もやっと開けて平静を取り戻し、
先ほどオランダ行きの飛行機が飛んだようです。
この後、順次飛ぶはずです。

日本には帰れます。
感謝します。
多大と支えれるかはまだ、わかりませんが・・・

お祈りを本当にありがとうございます。
イザヤ木原真

2016年7月15日金曜日

パトモス出発 14日の日記

パトモスでのまるまる六日間が終わりました。

毎日、ヨハネ洞窟横に行っての祈り込み。
毎晩の聖会、
とても祝福された六日間でした。

たくさんのとりなしを受け、
多くの祈りに支えられ、
神様の愛と祝福を豊かに受けた六日間でした。

まもなく船に乗ります。
船で一泊して、明日の朝8時にピレウス港に着きます。
そこからは、コリントに行きます。
そしててアテネに行き飛行機でトルコ経由で成田に帰ります。

最後まで無事に守られますように。

isaiah

2016年7月14日木曜日

パトモス最終日始まる

パトモスの最後の朝が明けた。
四時前に起床、
少し祈って長崎教会のホームページを見ると・・・
まだ正しく変わってない・・・
感謝しつつ連絡を取る。

そして聖書を読み、
5時20分に早天の部屋へ。
祈りと預言30回の後、
今日は喜びのグループが終わるまで、廊下で聖書を読む。
そして、再びホームページチェック。

7時半に朝食へ。

9時半から今日もヨハネ洞窟横に祈り込みに行きます。
パトモス最後の祈り込みです。

本当にたくさんのとりなしに感謝します。

isaiah

あと1日

水曜日の聖会が終わりました。
今日はビーちゃんは奉仕なし。
イザヤ牧師は預言1回とショートメッセージ15分でした。
アブラハムが持っていた復活の信仰のことを話しました。

パウロ牧師は、神様が仰ることは
複雑ではない、簡単なこと、単純なことだということで、
とてもわかりやすく励まされました。

これから夜の祈りと清書をして寝ます。
いよいよ明日1日です。
明日の夜にはパトモスを出発します。

isaiah