2019年4月11日木曜日

裏切るペテロを愛された深い愛


しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、

あなたのために祈りました。だからあなたは、

立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

            ルカの福音書 2232


イエスは、筆頭弟子であったペテロに向かって
ある時、こう言われました。
 シモン、シモン。見なさい。サタンが、
 あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、
 あなたのために祈りました。
 だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
シモンとはペテロの元々の名前、
分かりやすく言えば本名です。
ペテロは命がけでイエス・キリストについていくつもりだったので、
すぐにこう答えました。
「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
しかし、イエスは言われたのです。
「ペテロ。あなたに言いますが、
 きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
そして、その通りになりました。
ペテロは本当にイエスを愛していたのです。
どこまでも命をかけてついていきたいと思っていたのです。
でも、実際イエスが捕まった時、彼は逃げるのです。
それでも、後からそっとついていきました。
他人のふりをして、なんの関わりもない人のようなふりをして・・・
そしてイエスの弟子だとわかると、知らないと三度言うのです。
その直後に鶏が3度鳴きます。

まさにイエス・キリストが言われた通りでした。
でも、この言葉は、イエスの愛でした。
深い深い愛でした。

あなたはサタンにふるいにかけられて、
私を知らないと三度言うけれど、
それで信仰が亡くなってしまわないように
私が祈ったから大丈夫だよ。
私のあなたへの愛は変わらないから、
あなたは必ず立ち直るからそしたら、
兄弟たちを力づけてあげるんだよ。
と前もって言われたのです。

知らないと言って裏切った時、
ペテロはショツクで立ち上がれなかったかもしれません。
イエスとその直後に目があって大泣きをしました。
でもそのイエスの眼差しは
決してせめたてるものではなかったのです。
私の言った通りだろ。
あなたはそんな弱さがあるのです。
でもそれを知った上で
私はあなたを召しだしたから大丈夫だよ
という深い深い愛の眼差しだったのです。

この後、ペテロは立ち上がります。
そして兄弟たちを力づけるようになるのです。
深い赦しと愛を持って。

最高の献金


みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、

この女は、乏しい中から、

持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。

                                         ルカの福音書214


イエス・キリストが、
人々が献金をしているところをご覧になると、
金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていました。
そこへ、ある貧しいやもめがやってきて、
レプタ銅貨二つを投げ入れいるのをご覧になりました。
その時イエスは言われたのです。
「わたしは真実をあなたがたに告げます。
 この貧しいやもめは、
 どの人よりもたくさん投げ入れました。
 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、
 この女は、乏しい中から、
 持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」

たとえレプタ二つであっても、
これは、この人の生活費のすべてでした。
彼女は全てを投げ入れたのです。

イエス・キリストは、その心をご覧になられます。
少なくても心がこもっていればいいというのとは違います。
このやもめは自分の全てを捧げたのです。
その心をイエスは喜ばれました。

神のために、喜んで捧げる、
自分の大切なものを、全てを捧げる、
その心を喜ばれたのです。

驚嘆する最高の答え


「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。

 そして神のものは神に返しなさい。」

          ルカの福音書2025


イエスを何とかして捕まえて、
総督の支配と権威に引き渡そうと考えていた人たちがいました。
彼らは、義人を装った間者を送り、
イエスのことばを取り上げようと、
イエスに質問して言いました。
「先生。私たちは、あなたがお話しになり、
 お教えになることは正しく、
 またあなたは分け隔てなどせず、
 真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
 ところで、私たちが、
 カイザルに税金を納めることは、
 律法にかなっていることでしょうか。
 かなっていないことでしょうか。」
イエスはそのたくらみを見抜いて彼らに言われました。
「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。
 これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」
彼らが「カイザルのです」と答えると、
彼らにこう言われたのです。
「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。
 そして神のものは神に返しなさい。」
この答えを聞いた彼らは、驚嘆して黙ってしまい、
民衆の前でイエスのことばじりをつかむことができませんでした。

イエスの知恵は、深く高いのです。
あなたは人々を恐れたり、
何を言おうかとか、
どう答えようと思い煩う必要はありません。

主イエスがいつも共にいて、
あなたに最高の答えと知恵を与えてくださいます。

イエスを乗せたロバの子が見た栄光


イエスのもとに連れて来た。

                 ルカの福音書1935


イエス・キリストが
エルサレム入城するためのロバの子を
弟子たちが連れてきたとき、
彼らは、
そのろばの子の上に
自分たちの上着を敷いて、
イエスをお乗せしました。
イエスが進んで行かれると、
人々は道に自分たちの上着を敷き、
喜んで大声で神を賛美し始め、
こう言いました。
「祝福あれ。
 主の御名によって来られる王に。
 天には平和。栄光は、いと高き所に。」
するとパリサイ人のうちのある者たちが、
群衆の中から、イエスに向かって
「先生。お弟子たちをしかってください」
と言いました。
イエスはそれに答えて
「わたしは、あなたがたに言います。
 もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」
と言われました。
人々はイエスに向かって
大声で賛美しましたが、
それをロバの子も一緒に聞きました。

ロバは普通荷物を運んだり、
仕事をするために1日中働き続けます。
ところが、「主がお入り用なのです」
と言われた言葉に従って、
主のところに来た時、
上着を乗せてもらい、
人々の上着の上を歩き、
多くの人たちから
主への賛美の声を聞きました。
もちろん、
その全ては主イエスへのものです。
でもその恵みに、
ロバの子も預かることができたのです。

あなたにも
「主がお入り用なのです」と語られる時、
あなたがその言葉に従って、
主をお乗せして歩み始めるなら、
あなたの人生にも
普通なら決して起こらないような
素晴らしいことが起きます。

イエス・キリストの招きと
言葉に応答して、従っていきましょう。

永遠に決して滅びないもの!


この天地は滅びます。しかし、

わたしのことばは決して滅びることがありません。

                                                    ルカの福音書2133


聖書には、
この地上はやがて滅びるということが
はっきりと書かれています。
いつまでも続くと私たちが思っているものも
実はいつか終わりがきます。

私たちの
この地上の命も必ず最後の時、
死が訪れます。
それを逃れることのできる人は誰もいません。

しかし、
神のことばは決して滅びることがないのです。
永遠に堅く立つのです。
神のことばとは聖書の言葉であり、
またイエス・キリストご自身です。

私たちが、
この神のことばであるイエス・キリストを信じ、
そのことばに従うとき、
イエス・キリストについて行く時、
私たちは永遠に残るものを受け、
永遠の中に生きることができるのです。

ユダのように裏切らないために!!


さて、十二弟子のひとりで、

イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンがはいった。

                                                ルカの福音書223

イエスの弟子の中にイスカリオテのユダという人がいます。
このユダは、イエスを裏切り、祭司長たちに引き渡したのです。
たった銀貨30枚で・・・

聖書は「ユダに、サタンが入った」と言っています。
もちろん、ユダに罪があったからサタンに入られ、
イエス・キリストを裏切ってしまったのでしょう。
確かに、サタンは本当に存在します。
私たちの心と体を犯し病気にして、
人生を破壊してくるのです。
サタン、悪魔を侮ってはいけません。
でも、
サタンはすでに十字架で敗北しているので、
恐れることはありません。
私たちは、
父なる神さまの大きな愛の中で、
聖霊様の助けをいただいて、
イエス・キリストが
十字架で取られた勝利の道を進んでいきましょう。

イエス・キリストを信じて、
しっかりと教会の守りの中に、
とどまり続けましょう。

2019年4月5日金曜日

ロバの子に乗ってエルサレム入城

『主がお入用なのです。』

          ルカの福音書193134


イエス・キリストが地上に来られた目的は、
私たち人間の罪の身代わりになって
十字架にかかり、呪いを引き受け罰と裁きを受けることでした。
その十字架にかかる最後の週にエルサレムに入城されます。
人々は「ホザナ、ホザナ」と言って歓喜でイエスを迎えます。
そのときイエスが乗られたのが、ロバの子でした。
そのロバの子は、イエスがふたりの弟子を使いに出して
「向こうの村に行きなさい。
 そこにはいると、まだだれも乗ったことのない、
 ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。
 それをほどいて連れて来なさい。
 もし『なぜ、ほどくのか』と尋ねる人があったら、
 こう言いなさい。『主がお入用なのです』」
と言って遣わし、
使いに出されたふたりが行って見ると、イエスが話されたとおりで、
彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が
「なぜ、このろばの子をほどくのか」
と彼らに言ったので、弟子たちが「主がお入用なのです。」
と言って連れてきたロバの子でした。

主イエスは、地上の生涯の最後のエルサレム入城の時、
馬ではなくロバの子を選ばれました。
しかも、どのロバの子でもよかったのではなく、
向こうの村のまだ誰も乗ったことのないそのろばの子でした。

主イエスは、あなたにも言われます。
「あなたが必要なのだ」と。
隣の人でも横の人でもなく、そこにいる、そのあなたが必要なのです。
「主がお入り用なのです。」
主の招きに答えて行きましょう。

この終わりの時代に、
主がお乗りになって主の使命の道を歩ませてくださいます。

イエスに出会うと全く新しくされる


「きょう、救いがこの家に来ました。

 この人もアブラハムの子なのですから。

 人の子は、

 失われた人を捜して救うために来たのです。」

  

          ルカの福音書199-10


取税人であったザアカイのところに、イエスは泊まりに来られました。
人々は、そのことをよく言わず
「あの方は罪人のところに行って客となられた」
と言ってつぶやきました。
ところが、ザアカイは立ちあがり、主イエスに向かって言いました。
「主よ。ご覧ください。
 私の財産の半分を貧しい人たちに施します。
 また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します」
イエスは、彼に言われました。
「きょう、救いがこの家に来ました。
 この人もアブラハムの子なのですから。
 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」

ザアカイは、
今まで人生をかけてためてきた財産を失ってもいいと思いました。
イエスに出会って、彼は変えられたのです。
初めて本当の愛に出会ったのです。
自分をうわべだけで見ない、本物の愛に出会って、彼は変えられました。

あなたも
このイエス・キリストに出会うとき、本当の愛を知ります。

そのとき、あなたも全く新しくされるのです。

あなたのところに泊まってくださるイエス・キリスト



「ザアカイ。

 急いで降りて来なさい。

 きょうは、あなたの家に

 泊まることにしてあるから。」

            

      ルカの福音書195


エリコにザアカイという人がいました。
彼は取税人のかしらで、金持ちでした。
当時、取税人はユダヤ人から軽蔑されていました。
それは、ユダヤ人であるにも関わらず同胞の民から税金を取り、
ローマに納める仕事だったからです。
しかも多くの者たちは、税金を多めに取り、
自分たちの懐に、つまりピンハネをしていたのです。
ですから嫌われていました。
そのエリコにイエスが来られたのです。
人々に慕われ、今、人気絶頂のイエスが来られて通られるのです。
ザアカイは、イエスがどんな方か見ようとしましたが、
背が低かったので、群衆のために見ることができませんでした。
それにザアカイとわかると
誰も彼が見えるように助けてくれる人などいませんでした。
それで、彼はイエスを見るために、前方に走り出て、
いちじく桑の木に登りました。
そのとき、ちょうどイエスが
そこを通り過ぎようとしておられました。
イエスは、ちょうどそこに来られて、
上を見上げて彼に言われました。
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。
 きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
ザアカイは、急いで降りて来て、
そして大喜びでイエスを迎えました。
ところが、人々は、これを見て
「あの方は罪人のところに行って客となられた」
と言ってつぶやきました。

イエス・キリストは、うわべで人を見られません。
背が低く取税人をして、
みんなから嫌われて孤独だった
ザアカイの心を見ておられました。
あなたの家に泊まると言われたとき、
本当に嬉しかったと思います。

あなたがもし今、孤独を感じていたり、
人々から嫌われたり
仲間はずれにされていても、
イエスは、
そのあなたのところに来てくださいます。
彼は、うわべを見て判断なさらないからです。

2019年2月18日月曜日

アガペーで愛し癒されるイエス・キリスト


イエスは手を伸ばして、彼にさわり、

「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。

すると、すぐに、そのらい病が消えた。

                                  ルカの福音書513


イエスが、ある町におられたときのことです。
全身らい病の人が、イエスを見ると
「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます」
とひれ伏してお願いしました。

イエスは手を伸ばして、彼にさわり
「わたしの心だ。きよくなれ」と言われました。

すると、すぐに、そのらい病が消えました。

らい病は当時、汚れた病気であり、
ライ病人にふれると、
その人も汚れると言われていました。

イエスは、
らい病の人に手を伸ばして彼にさわり、
それから
「わたしの心だ。きよくなれ」
と命じられたのです。
さわらなくても命じれば、
らい病の人は癒されるのに、
まずさわられました。
それはらい病の人にとっては驚きでした。

らい病のままのあなたを愛している。
わたしは喜んで、あなたのらい病をいやそう。
でも、らい病のあなたのままで愛している。
その上で、あなたの人生を苦しめてきた、
このらい病をきよめ、いやそうと言われたのです。

もしかしたら、
あなたは、
これさえなければ、
これがあるから、
自分はダメなんだと
思っているものがあるかもしれません。
でもイエス・キリストは、
それがあってもなくても、
そのままのあなたを、
そのままで、
愛してくださるのです。
そして、その上で、
あなたの人生をいため苦しめてきた、
それを取り除き、
あるいは与えてくださるのです。

それがアガペーです。

イエスが言われるところで、神の約束は成就する


「エルサレムを離れないで、

 わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、

 あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

             使徒の働き14-5



復活されたイエス・キリストは、
四十日の間、弟子たちに現われて、
神の国のことを語り、
数多くの確かな証拠をもって、
ご自分が生きていることを
使徒たちに示されました。

そして彼らといっしょに
食事をともにしているとき、
イエスは彼らにこう命じられました。
「エルサレムを離れないで、
 わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、
 もう間もなく、
 あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」と。

エルサレムは神に選ばれた街、
神に愛された特別な町です。
しかしこの時の弟子たちは、
エルサレムにはいたくありませんでした。
それはイエスを捕えて殺した人たちがいたからです。
もし自分たちがイエスの弟子だとわかれば、
自分たちも捕まり殺されるかもしれません。
弟子たちは恐れていました。
早く故郷である田舎のガリラヤに
逃げて行きたかったと思います。

しかし、イエスは言われたのです。
「エルサレムを離れないでいなさい」と。
その時
「父が約束された聖霊のバプテスマ」を受けると。
それが何なのか、
弟子たちは分かっていませんでした。

でもイエスのことばを握り信じて
彼らはエルサレムを離れず
祈り待ち望みました。
その時「聖霊のバプテスマ」を受け、
彼らは全く新しくされ、
変えられるのです。

あなたも、
主イエスが言われるところに、
ある時はとどまり、
ある時は遣わされて行くとき、
神の約束は成就し
愛と奇跡のみわざを見ることができるのです。

一人になって祈られるイエス


しかし、イエスご自身は、

よく荒野に退いて祈っておられた。

ルカの福音書516


イエス・キリストが
人々をいやし、奇跡を行なっていることのうわさは、
どんどん広がり、ますます広まって行きました。
それで多くの人の群れが、話を聞きに、
また、病気を直してもらいに集まって来ました。

しかし、イエスご自身は、
よく荒野に退いて祈っておられたのです。

イエスは人々の願いと求めには
どんなに忙しく疲れていても答えられました。
しかし、どんなに忙しくても
必ず荒野に退いて静まって
父なる神と交わり祈る時は保たれていました。

それがイエスがアガペーの愛に生き、
奇跡を行われ続けた秘訣でした。

私たちも、どんなに忙しくても
イエス・キリストの名よって
父なる神様のところに行き
聖霊様と深く交わり祈る時を
失わないようにしましょう。

そこに、主イエスと共に愛に生き
奇跡と癒しを見続ける鍵があるのです。

祈りにかけた弟子たち


この人たちは、

婦人たちやイエスの母マリヤ、

およびイエスの兄弟たちとともに、

みな心を合わせ、祈りに専念していた。

                            使徒の働き114


聖霊のバプテスマを受け聖霊に臨まれると
「全世界に福音を宣べ伝える証人になる」
と語られた弟子たちは、
オリーブ山からエルサレムに戻り、
婦人たちや兄弟と共に祈りに専念します。

イエスから語られ与えられた
全世界への宣教の命令は
とても嬉しかったでしょう。
しかし同時に
その力がないことを
弟子たちは痛いほどわかったいました。

だから、
彼らは約束を待ち望み
信じて祈ったのです。

ユダヤ人たちを恐れていた彼らは
一人でいることはできず、
ともに集まり祈りました。
それほど弱くされていました。
でも、だからこそ彼らは約束を信じ、
その言葉にかけて祈りに専念しました。
そこにしか希望はなかったからです。

そして、
その約束通り聖霊が彼らに臨み、
彼らは恐れずに
福音を大胆に宣べ伝える者に変えらました。

あなたも、弟子たちのように祈りましょう。
たとえどんなに行き詰っても、
もうどうすることができなくなっても、
ともに集まり祈る時、
聖霊が来られて豊かに望まれ、
全てを新しく変えていかれます。