2016年11月18日金曜日

一浪で東京に行った時ー父の姿

一浪の時、東京に行きたいといつたら、
父は黙って、お金だけ出して送り出してくれました。

大阪に住んでいたので、友達は誰も歓迎してくれませんでした。
大学ならともかく、
浪人するのに東京に行くということは、
大阪の人には受け入れ難かったのでしょう。

父は、東京まで一緒に来て、寮を見に行き、
最後に東京駅だっと思いますが、新幹線で帰って行きました。
席が窓側ではなく、窓側の隣でしたが、
こちらを向いて手を振りながら、涙ぐんでいたように思います。
あの時の父の姿は、私の脳裏になぜか深く刻まれています。
今もはっきり覚えています。

もともとは涙もろいところがありましたが、
今回のことでは、それまでは涙などは見せなかったのですが、
その時は、思わずも涙が出てきたのでしょう。
父親になった今、父の気持ちがわかるような気がします。
一人息子を浪人生として東京において行く父は、
神様を信じていなかったら、
とても辛かったでしょうし、心配でたまらなかったと思いますが、
イエス・キリストに対する信仰があったので、
ああして私を送り出してくれたのだと思います。

それにしても私は、自分で自分の人生の道を決めてきました。
それは父がいたから出来たのだと今、よくわかります。
黙ってお金を出して、私の決定を受け入れてくれた父、
本当に私を信頼していてくれた父。

父の息子でよ良かったと改めて思います。

MAKOTO

2016年11月15日火曜日

高校入試

高校入試のとき、父は何も言いいませんでした。
私は模擬試験を受け、自分で高校を探し、私立も公立も自分で受験校を決めました。
決して口を出さない父ではでしたが、お金は何も言わずに出してくれました。

今から思えば間違いだらけの高校探しだったと思います。
偏差値だけでどこを受けるか決めるような感じだったように思います。
もっと、高校のカラーやその後の大学受験も考えて選べばよかったと、今になって思います。

父は、お金を出し、母と共に祈ってくれていたと思います。
私立を受ける前、よく勉強をしました。
公立はランクを一つ下げたので、もう勉強しなくなりました。
それでも合格できました。

でも、その結果、高校では勉強をほとんどしなかったように思います。
高校三年間は、私の人生のブラックホールでした。

父が「私立に行かせておけば良かったと」言ったことがあります。
二浪したことを考えると、私立に行ったほうが良かったかもしれません。
ただ、後悔はしていません。
浪人して東京に行きたいと言った時も、黙ってお金だけ出して行かせてくれました。
二浪の時も、合格したある地方の公立大学がありましたが、
父は、その合格証書を見せると喜んでくれて、お金を出して、黙って二浪させてくれました。

大学も全部自分で探し受けました。
現役の時も、一浪の時も、二浪した時も・・
今から思えば、たくさん受けすぎたと思います。
本当にお金のかかる子どもでした。

父は口を出さず、お金だけ出してくれて、
私は、自分でいつも決めて生きてきました。

自分が父親になって、父に本当に感謝しています。
自分も子どもたちに、父のようにしてしてあげたいと思っても、全く父のようにしてあげれませんでした。

MAKOTO

2016年11月14日月曜日

山登りが好きになった父

父と中学生の頃と高校生の頃、山登りに行った。
それは私が誘った。
それから父は、山登りに病みつきになった。
一人でも行き、結婚した姉の婿殿を連れて一緒に行ったりしたようだ。

愛媛の弓削島という田舎に育った父は、瀬戸内海という海で育った。
ところが、目が悪かったので、父のことを思う母が、
四国八十八ヶ所巡りに連れて行ったそうで、
山登りもしていたのだろう。

祈りつつ登り、休憩の時に、必ず賛美歌や聖歌を歌う。
初孫のこうじは、山に一緒に登ったことがあるので、
「主我を愛す」と前夜式で前奏が流れると、
おじいちゃんを思い出して号涙したほどだ。

isaiah

2016年11月6日日曜日

使用学生の頃〜いつも行った「道明寺」の写生

小学生の頃、
父と一緒にキャンパスを持って、近鉄の電車に乗って「道明寺」という駅まで行きました。
そこで降りて少し歩いて写生をするのです。

姉も一緒でした。
姉によるとお弁当を持って、手を繋いで行ったそうです。
わたしは、そこらへんはよく覚えていないのですが、写生したことはよく覚えています。
絵を描いている時の父は穏やかでした。
そして行きと帰りの電車の中も楽しかったです。

目が悪く視力が弱かった父なのに、なぜか絵を描くことが好きでうまかった父です。

帰りには、夏だとアイスを食べました。かき氷も食べたような気がします。
秋とか春にも何か美味しいものを食べたと思います。
一年に一度は必ず行きました。

自分が父になってから、自分の子どもたちには、そういう思い出を作ってあげれなかったので、申し訳なく思います。

2016年11月1日火曜日

父の思い出〜幼い頃

幼い頃、父は怖かった。

とても愛情は豊かな人でした。

でも、一旦怒り、「まこと」と父が叫ぶと、
私の体はこわばり身動きできなくなり、涙が出てきた。

父は短期で感情的な人でした。

怒ると本当に怖かったです。

前夜式の時、私より7学年、6歳上の一番上の姉が、
「孫たちにとっては、
 おじいちゃんは優しいかったかもしれないが、
 私には、やはり怖くて厳しかった。」
と言ったのが、印象的でした。
姉は十字架を背負ったのだと思います。

父は、歳を取り、とても優しく、柔らかい人に変わっていきました。

私の妻は
「結婚して良かったのは、舅と姑さんが良かったこと」
と真顔で言いいます。
妻の本音だと思います。
確かに父は変わりました。

いろんなことがありましたが、
64年間?、教会から、キリストから離れなかった父。

母といろいろとぶつかり喧嘩もしながら、
それでも62年間、向き合い続けた父、

だから神様の愛の中で、
父は変えられて行ったのでしょう。
イエスさまの恵みは尽きず、
聖霊さまの助けを受けて、
父は長い年月をかけて、キリストに近づいていつたのだと思います。