2017年8月31日木曜日

1ヶ月の赤ちゃんと90歳のおばあちゃん

今日、もうすぐ昨日になりますが、
宮崎で、
1ヶ月の女の子の献児式がありました。
とても祝福されたときでした。

そして、その直後に、
今度は、90歳のおばあちゃんの特別賛美がありました。
とても心温まりました。

これが教会ですね。

生まれたばかりの命と、
長い人生を歩いてきた人がともにいることができる。
今日は夏休みということもあり、
小学生のお姉ちゃん達二人と、
年中のお兄ちゃんもいました。

若いお父さん、お母さん、
90歳の娘?の成熟したお母さん、
etc、etc,・・・

教会は、やっぱりいいですね。

私は教会が好きです。

どんなことがあっても、
そこにキリストがいてくれる。

そして、
世代も、
国籍も
立場も越えて
ともにいて、
恵みの中で一つになれる。

神様に感謝、
ありがとうございます。

isaiah

鹿児島から夜行バスに乗って、福岡に向かう・・・

これから、久しぶりに
鹿児島から福岡行きの
夜行の高速バスに乗ります。

今まで、ジョイフルで、
神学校の追試の試験問題や
いろんな方へのメールや手紙を書いていました。

今はバス停でバスを待っています。

眠れるといいですね。
昨日は宮崎のホテルで、
ほとんど眠れませんでした。

今日は宮崎と鹿児島で聖会がありました。
どちらもとても祝福されましたが、
個人的にもとても嬉しいことがありました。

子供のことですが、内容はナイショです。
子供が自分で描くときがくると思います。

子供のためなら、時間もお金も、惜しくない。
どんなに無理してでもなんとかしてあげたいと思います。
神さまはイエス・キリストを私に、私たちに与えてくださったのは、
本当に私を、私たちを愛しているからですね。

早く長崎に帰って、
明日、旅立つ子を送り出してあげたいです。

もう間もなく、福岡に向けて出発です。
早朝に福岡に着いて、
乗り換えて長崎に行きます。

isaiah

2017年8月29日火曜日

プノンペン国際空港

  プノンペン国際空港で撮りました !


カンボジアから帰る日、
プノンペン国際空港で
4女が撮りたいというので、撮りました。
昔なら、こういうのは撮らなかったな〜。

やはり、歳をとると変わります。
下の子たちは何もしてやらなかったのが、
かえって良かったようです。

4女は3回目のカンボジア孤児院、
次回も行くと、もう計画を立てています。

私は、主が導かれれば・・
きっと必要は備えられるでしょうから・・

今回も祝福されたカンボジア派遣でした。

isaiah

中国語で賛美

 中国語で賛美するNさん


日曜日の第三礼拝、中国語で賛美するNさん!!
「栄光はあなたのもの」を賛美しています。
英語や日本語より
心に染み込んでくるような気がするのは、
私だけでしょうか ?

isaiah

2017年8月24日木曜日

礎の石に20年の年月が流れて・・・

21日から24日の夜まで、
カンボジアの孤児院に来ています。
1997年に始まって20年が経ちました。

一番最初に来たのは男の子二人、
その一人、2ヶ月だった男の子は、
もう20歳、今ではITを学ぶ大学生になりました。

もう一人、2歳で孤児院に来たPは、
もう少しで高校卒業というときに、
孤児院から卒業して、世に巣立って行きました。
彼の背中を見送りながら、
もうこの子は帰ってこないかもしれない、
きっとそう思いながら、
スタッフのM---は、心の中で涙を流していたことでしょう。

そのPが、突然、ある日曜日、
礼拝に出たいと孤児院の門を叩きました。

世の風は、そんなに優しくはなかったようです。
孤児院がどんなにあたたかい神様の愛と恵みの中で、
たくさんの祈りに支えながら守られているか、
彼は、世を一人で歩きながら深く深く、知ったのです。
心にしみ込むように。

日本からチームが来て、
昨日の夜、聖会が持たれました。
彼は、仕事を休み、やってきました。
久しぶりに会った彼は、すっかり大人になって、
とても礼儀正しく、
その顔には人生の痛みを知った影がありました。

彼は洗礼を受けるために来たのです。
彼が洗礼を受ける、
そのことを聞いたとき、
私は、本当に嬉しかったです。
言葉に表せないような、深い感動と、
神様のとてつもなく大きな深い愛を感じました。

祈りは忘れられていなかったのです。

彼と再会できた、心から溢れてくる喜びを隠せず、
彼と話していると、彼も私も涙ぐんでいました。

洗礼式のとき、
20年という年月の中で、
神の憐れみの深さと愛の大きさを思いながら、
愛することには時間がかかる、
でも必ず神の愛は夢魔食われるのだと心から思いました。

信仰と希望と愛、
決して絶えることはない。

御言葉は真実です。

孤児院からホテル帰る車の前を、
22歳になったPと20歳のVが並んでバイクと自転車に乗っています。

それどれ人生、神様の愛と計画がそれどれに豊かに現されてくように、
神さまはこの終わりの時代に礎の石として
豊かに用いてくださるでしょう。

私は信じています。

2017年8月23日水曜日

カンボジア孤児院賛美隊〜このままで

カンボジア孤児院の子どもたちの賛美
「カンボジア孤児院賛美隊」というチーム


カンボジア孤児院の子どもたちが勢ぞろい、
「このままで」というメッセージソングを、
日本語で賛美しています。
はっきりときれいな日本語で心に響きます。

カンボジア孤児院の子どもたちの賛美②

カンボジア孤児院にて


昨日に続いて、
カンボジア孤児院の子どもたちの特別賛美。
「NISHIZAKA」を、
きれいな日本語で賛美しました。
間違えることなく、最後まで賛美しました。
    驚きました!!!

カンボジアの子供たち

今、カンボジアにある孤児院に来ています。


カンボジアの子どもたちの特別賛美です。
初めて楽器、ピアノを子どもたちが自分で弾いています。
前回のチームで教えてもらった子です。
「戻り橋」という日本語の賛美を歌っています。

これからギターを始め、管楽器や弦楽器など、
オーケストラも出来てくるのではないかと楽しみです。



2017年8月21日月曜日

神さまは忘れない②

長崎に遣わされてきたのは、
1988年5月15日に按手を受けて、
5月22日に長崎での初めての礼拝をしました。

そして、6月18日に初子の出産、
8月に2ヶ月の子と妻を置いて
フィリピンのダバオに3週間遣わされました。

若かったこともあり、
情熱的に一生懸命奉仕しました。
でも、心は高かったような気がします。

それから毎年のように、
フィリピンには遣わされていきました。

最近では、
2004年に長崎教会の人達とともに
4人のチームで行きました。

今回、コンサートを見ながら、
神さまは、主に仕えた愛を忘れずに報いてくださる方なのだと感謝しました。

主に心から感謝します。

コンサートは本当に良かったです。
感動的でした。

isaiah

2017年8月20日日曜日

神さまは忘れない!

今日、コンサートがありました。

インターナショナル礼拝に集っている
フィリピンの若者たちが企画したコンサートです。
フィリピンの若者たちのチームが4チームでました。
どのチームも若者らしく力強くて、
主イエスへの愛をとても強く感じました。

その中の一人が、
実は4年前の2013年にフィリピンに宣教に行った時に、
そこにいた若者でした。
ダバオの集会に彼は来ていました。
彼は、
私たち長崎から行った四人のメンバーのことを、
よく覚えていました。

その時、彼は自分が長崎に来るなんて思いもしていなかったようです。
彼にとって、日本に来ることは夢だったのです。
ところが、今、神さまは彼の夢をかなえてくださり、
しかも、あの時ダバオであった牧師たちがいる長崎の教会に導かれたのです。
彼は、とてもとても感動していました。
そして日本語の賛美を、
天の賛美を日本語で賛美しました。

もう一人の若者は、
日本に来るまであまりイエスさまのことも、
聖書のことも知らなかったようです。
ところが、日本に来て、長崎に来て、
友達に誘われ、教会に来て、
イエスさまのことを深く知り、
今は生きたクリスチャンとして、
イエスさまをとても愛しているとのことでした。
彼は、
日本で、
この長崎で、
私たちの仕えているこの教会で、
キリストに深く出会い、信仰がリバイバルしたのです。

神さまに、感謝せずにはいられない。
イエス・キリストに全ての栄光をお返しします。

本当に祝福刺されたコンサートでした。

これから定期的にしたいと願っている。

2017年8月6日日曜日

喜びと楽しみの回復

楽しかった礼拝が、戦いに変わったのはいつからだろう。
前進しようとすると必ず、そこには戦いが生じてくる。
その戦いが長く続くと戦う気力を失いそうになる。

実は、そのときに、最も大切な信仰が建て上げられ、忍耐が培われている。
時間がかかり、長引けば長引くほど、キリストへの愛が深く強く厚くなる。

十字架ですでに取られた勝利が明らかになるとき、そのことは明確に現れてくる。

でも、戦いの最中で、それに気づくのは簡単な事ではない。
主から目が離れると、周りが見えなくなる。
すべてを投げ出してしまいたくなる。
自分の弱さと罪の中で、サタンに翻弄されてしまう。

もうダメだ!
そう思ったとき、そこにキリストの御手がある。
しっかりと、でも優しく、支えてくれるイエスの温かい御手が差し伸ばされている。

どんな事があっても、決して見捨てない、
何があっても決して見放さない、
イエス・キリストが
そこにいる。

頬を伝う涙を拭うこともせず、
ただただ主の愛、神の愛の中で佇んでいる。

勝利が現される時は、もうすぐそこだ。
いや、信じるなら、すでに私たちの手の中に勝利はあるのだ。

賛美の声を上げ、主への愛を叫ぼう。

再び礼拝が、天から注がれてくる喜びの渦の中で、楽しみの場所となる。

2017年8月5日土曜日

愛の光の中で・・・再び生きる

長いトンネルを抜けて、陽の光を浴びる。
眩しすぎる太陽を、やっと見上げることができる。

孤独だった日々、自分で選んだ罪と弱さの刈り取り、
抜け出すことのできない泥沼の中でもがき苦しんだ時、
一体どれくらい時は過ぎたのだろう・・・

誰も何も信じられない、
そう、自分自身が一番信じられない・・

永遠と向き合いながら、
聖さの前で涙しながら、
罪の中で、弱さの中に沈んでいく、そんな自分が悲しい・・・

でも、
すべてをなくした時、
すべてを離した時、
初めて自由になる、
そんなことは知っていた。
知っていたはずなのに、それができなかった。

今、陽の光の中で、やっと自由になる。
眩しい光
つきることのない変わらない愛、

新しく踏み出していこう、
もう一度、そうもう一度、
この愛があるから・・
この愛がある限り・・
あきらめなくていい。



十字架を見上げて
天を見上げて、
永遠を見上げて、

cross殉