2018年7月24日火曜日

59歳、50代最後の誕生日 7/21

徹夜明けに、高速バスで博多まで行き、
そこでそJRに乗り換えて飯塚へ。
なぜバスと電車かというと、それが一番安い方法なのです。

飯塚でセミナーと聖会の間に
手作りのチーズケーキで
誕生日のお祝いをしてくださいました。

59歳になっても嬉しいものです。
またある方から
美味しいそうなチョコレートの詰め合わせ?を
いただきました。

本当に感謝です。

確か、昨年は大牟田で、もう少し前は筑豊で
お祝いしてもらったことがあります。
いつも心のこもったお祝いで
不覚にも泣いたこともあるような気がします。

今年は泣かずにすみましたが・・・

聖会が住んで、車で基山まで送ってくださり、
高速バスで長崎へ。
教会により、息子の高校のクラスの救いを祈り、
家に帰ったのが8時半ぐらい、

それから家で誕生会。
妻の両親の買ってくれたケーキは、
今までで一番高価な美味しい、
私の大好きなチョコレートケーキでした。

久しぶりに思い切り、チョコレートを食べました。
私だけ、2ピースいただきました。
ふとつてしまうけど・・・

まぁ、今日は特別だから・・

59歳になって思うことがあります。

私は愛をたくさん受けてきたけれど、
あまりにも愛がなかったんだなーということです。

浪人時代、
父の懐を考えたことはありませんでした。
今から思えば、よくもまぁあんなにお金を使わせたのかと、
しかも、全くお金のことなど気にせず、
自分がいいと思うことを自由に思う存分させてもらいました。

長男が浪人している時、
おそらく長男は、もっと取りたい講座があったと思います。
いつもお金のことを考えながら生活していたんだろうと思います。
それが全部悪いとは思いません。
ただ、私には、そのことを思いやるだけの心の余裕、つまり愛が足りませんでした。
次男の時も、もっと次男の中にある神様が与えたものに目を留めていれば、
全く違った心とお金と時間の掛け方ができたはずです。
全ては益になります。
だから後悔はしません。
ただ、いつも自分がいたと思います。
神様、イエス様に、本当に聞いていたら、もっと愛が流れていたでしょう。

それは他の子にも、父や母に対しても、妻の両親に対しても同じです。

特に妻に対しては、ギリギリというより、なけなしのお金の中で生活することを当たり前のように強いてきました。
最近、一緒に買い物に行くようになったわかりましたが、
ものすごい単位の世界で、妻は毎日戦い生活をしてきたんだとうことがわかりました。

時たま爆発しましたが、
正直ににいうと、
私は妻の言うことがわかりませんでした。

それぐらい、自分のことしか見えていなかったのです。
59歳になって、やっとお金がないのではなく、
愛がなかったということに気づき始めました。

そう愛がなかったのです。
神様を知っていながら、
愛そのものである神様を求め、この方についていきたいと言いながら、
十字架を語り、イエス・キリストを宣べ伝えることこそが使命だと思いながら、
一番大切なものが、愛がなかったのです。

59歳、今までで一番、深く考えさせられた誕生日でした。

愛である方である父なる神様、
十字架にまで従われた主イエス・キリスト、
聖霊様に助け導いていただいて、
本当に愛のある生き方をしたい、
主に聞き従うなら、愛が流れていくことは間違いありません。

主よ、本物になりたい、
60歳の誕生日には、
子供達に慕われ、妻に尊敬され、
教会が喜ぶ。

そんな日になりますように。

isaiah

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