それは愛する息子であった。
彼は、
『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、
最後にその息子を遣わした。
マルコの福音書12章6節
イエスは、ある時たとえを話されました。
「ある人がぶどう園を造って、農夫たちに貸して、旅に出かけました。
季節になったので、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、
しもべを農夫たちのところへ遣わしますが、
彼らは、そのしもべをつかまえて袋だたきにし、
何も持たせないで送り帰します。
その後にも、多くのしもべを遣わしますが、
彼らは袋だたきにしたり、殺したりしたのです。
その人は、
『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、
最後にその息子を遣わします。
すると、その農夫たちは
『あれはあと取りだ。
さあ、あれを殺そうではないか。
そうすれば、財産はこちらのものだ。』
そう言って、彼をつかまえて殺してしまい、
ぶどう園の外に投げ捨てるのです。
これはイエス・キリストご自身のことを言われたのでした。
父なる神様は、預言者を遣わしてもユダヤ人が悔い改めないので、
最後に愛する一人息子であるイエス・キリストを遣わしたのに、
ユダヤ人は、そして人類は彼を拒み、十字架で殺してしまうのです。
しかし、その十字架が私たち一人一人の救いとなりました。
まさに神の愛の大きさと偉大さです。
今、あなたも私も
父なる神様の一人息子のイエス・キリストを信じて
心に迎えることができます。
その時、永遠の命が与えられ、新しい人生が始まります。
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