2018年10月4日木曜日

あなたの兄弟と仲直りをしなさい。マタイの福音書5章24節

あなたの兄弟と仲直りをしなさい。
      マタイの福音書524

誰かと喧嘩をしたり、仲違いをしてしまうことはありませんか。
意見が違ったり、自分を認めてくれないと
私たちは腹を立てたり、ムカついたりしてしまいます。
でも、そのまま相手を許さないままでいると
相手に対してというより、自分自身が祝福されません。
相手を許して、和解することが大切です。
時には、間違いを認めて謝ることも必要でしょう。

でも、そんなに簡単にできることではありません。
どうすればいいのでしょう。

イエス・キリストに目を向け、彼に祈ることです。

イエス・キリストは罪とは何の関係もなかったのに、
罪の裁きと責めと呪いの全てを、
私たちの身代わりに引き受けて十字架にかかられ、
神であられた方が神に捨てられてよみ、地獄に行かれました。

あなたを、私を愛しておられたからです。

この十字架を見上げる時、私たちに許す力が出てきます。
この方に祈る時、和解する力、許す力、謝る力が湧いてきます。

2018年10月3日水曜日

あなたがたは、世界の光です。マタイの福音書5章14節

あなたがたは、世界の光です。
   マタイの福音書514

私たちがイエス・キリストを信じる時、私たちのうちに聖霊が宿られます。
イエス様が私たちの内に住んでくださるのです。
これを聖霊の内住、キリストの内住と言います。

キリストは、どんな暗闇の中でも輝く光そのものです。

私たちがどんなに暗くても、
キリストがうちに住んでおられるので、
あなたも私も世の光、世界の光となれるのです。

世界が暗くなればなるほど、
キリストを信じる私たちは、
世の光、世界の光となって輝くのです。

2018年10月2日火曜日

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』

イエスは答えて言われた。
『人はパンだけで生きるのではなく、
      神の口から出る一つ一つのことばによる』
                                        と書いてある。」
                                       
                                            マタイの福音書44節 


私たち人間はパン、つまり食物を食べないと死んでしまいます。
パンは必要なのです。
でもパンだけ食べていれば心や霊も生かされるのでしょうか。
美味しいものをたくさん食べ、お腹がいっぱいになっている人が、
必ずしも幸せであるとは限りません。

私たち人間には、心と霊があります。
神の口から出ることばは、その心の糧であり、霊の食べものです。
それが書かれているのが聖書です。
聖書を読み、聖書に触れ続ける時、
私たちの心は豊かになり、霊は強められ、
本当の幸せと生きがいのある人生を見いだすことができます。

2018年10月1日月曜日

悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」マタイの福音書3章2節

悔い改めと聞くと、懺悔を連想して暗いイメージを持つ人が多いようです。
でも「悔い改め」というのは「向きを変える」ということです。
つまり「方向転換」するのです。
神さまを気にせず、自分の考えで、自分のしたいままに生きてきた人生から、
命をかけてあなたを愛してくださったイエス・キリストを信じて、
神さまとともに歩く人生に向きを変えることです。

今まで神さまに背を向けていたことを認めて、
悔い改めて、つまり向きを変えて、
神様を信じて神様の方に向いて、
神さまの愛と光の中を歩く人生を生きることです。

祈りましょう。
「神様、私は今まで確かに神様に背を向けて自分で歩いてきました。
 でも今悔い改めて、イエス・キリストを信じて神様の方を向き、神様の愛と光の中を生きたいです。
 私の今までの罪を赦して、新しい人生を新しい命をください。」

2018年9月28日金曜日

日本に到着!!!

無事成田に到着、
成田空港のラウンジでしばし休憩、
福岡行きの飛行機に乗り、無事福岡到着、
国際線行きの無料リムジンバスに乗り国際線ターミナルへ。
そこで長崎行きの高速バスに乗車、
私の遣わされた長崎、浦上に着く。

2018年9月27日木曜日

スマホを落として壊しました。 Re: 27日の日記

カンボジアからの帰国する時、荷物検査がおわるところで、スマホを落としました。
感謝です。
液晶の画面がダメになったようで、うまく作動できません。
これでラインも使えなくなります。
感謝です。
全ては益なので、きっとこのことにも意味があるのでしょう。

2018年9月15日土曜日

Re: 説教要旨の件

 マルタとマリアの弟ラザロはイエス様に、とっても愛されていました。そのラザロが病気になって死にかけていました。それでイエス様のところへ彼女たちは使いを送りました。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」(3節)と。すぐ来て直して下さると信じて。ところが、イエス様はそれを聞かれると「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(4節)と言われ、しかも、イエス様はラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられて、すぐには飛んで行かれなかったのです。(6節)。ラザロのところに着いた時には、ラザロは墓の中に入れられて四日もたっていました。(17節)
マルタもマリアも「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」と言うのです。イエス様さえいてくだされば、どんなに危なくても必ず助かるという信仰が彼女たちにもラザロ自身にもあったのです。でも死んでしまって、この時は、まさか生き返るということは考えも発想もしなかったのです。でもイエス様はラザロを癒すのではなく、四日もたって腐っていて絶対不可能なところから生き返らせることを、実は初めから導かれておられたのです。
イエス様は皆さんを愛していおられるのです。十字架で命をかけて愛されたのです。本当にイエス様はマリヤもマルタもラザロも愛しておられました。なのにラザロは死んでしまいました。しかしもっと大きな計画があったのです。

 イエス様が来られて、涙を流された後、墓の前に来られました。墓は洞窟で、その前に溝があり、そこに大きな石が転がしてありました。イエス様はそこへ来られ言われました。「その石を取りのけなさい。」(39節)死んだ人の姉妹マルタは言いました。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」と。するとイエス様は「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(40節)と言われます。この「信じる」とは、イエス様の言われた石を取り除けることなのです。つまり主のおっしゃることに従うことが、主を信じることなのです。彼らは石を取りのけました。その時、イエスは大声で「ラザロよ。出て来なさい。」と叫ばれると、ラザロに霊が戻って、イエス様のところへ来たのです。死んでいた体は生き返り、そして元気になって帰って来たのです。奇蹟が現れる時、鍵があります。それは、主のことばに従うことです。主のことばに従い、踏み出す時、私たちは神の奇蹟を見るのです。従うときに神の栄光を見るのです。
神様は私たちの人生にも奇蹟を起こしてくださいます。ぜひ主のことばに従って行ってほしいと思います。

 最後にもう一つ、私たちの思い通りに、願い通りにならなかった時、どうして神様はこうなんだろうと思った時、実は、もっと深いことが、もっと大きいことが必ずあるのです。私は愛されていないとか思わないで頂きたいと思います。これはまさにサタンです。神様は本当にあなたを愛しておられます。必ずその向こうに、私たちの思いを超えたすばらしい計画があるということを覚えてほしいと思います。